2009年5月13日水曜日

2009/05/04-10 穂高

今年のゴールデンウィークは仕事で全部潰れる予定だったが、世界同時不況の影響か、仕掛かり中のプロジェクトが突然中止になった。派遣村に行って豚汁でもすするか、などと冗談とも本気ともつかない話で笑っていたが、一方で、目前に迫ったゴールデンウィークに突然9連休も取れることになり、そちらの方で焦った。

ハワイにリベンジに向かうか、北海道にサクラマスでも釣りに行くか、とか色々考えたが、飛行機を使う旅はチケットがもう取れなさそうだし、GW価格で高くつきそうだ。このところフライフィッシングに入れ込み過ぎて山から足が遠のいていたが、ずっと心のどこかで山に行きたいと思っていたので、昨年戻ってくると決めた北アルプスに向かう事にした。

私の休暇は5月2日~10日。信州地方の天気予報を見ると、3日と4日に低気圧が通過するという予報だったので、4日に出発して10日まで山に籠もる予定にした。2日と3日は登山用品店に冷やかしに行ったり、天気予報とにらめっこしたりしていたが、天気予報がどうもおかしい。低気圧の通過予定がどんどん後ろにずれていく。低気圧が過ぎるのを待って出発を遅らせていたら、私の休暇が終了してしまいそうだったので、当初の予定通り4日に家を出た。

特急あずさ号に乗り込み、松本に到着したのは良いが、どんより・・・典型的な曇天だ。

完全にやる気を削がれた私は、この日は松本を観光して夜は温泉にでも入る事にした。ホテルにチェックインし、荷物を置き、観光案内を片手に松本の街をぶらぶらした。松本は古い町並みが残る風情のある街だった。松本と言えば松本城。写真は国宝松本城を眺め、古の戦国武将に想いを馳せる私。

松本城は予想していたよりも小さくて、なんだかプラモデルみたいだったが、それよりも私が衝撃を受けたのは、松本城に隣接する資料館で見た一枚の写真だった。左の写真を見てもらいたい。松本市庁舎落成パーティーか何かの様子だそうだが・・・なんたるカオス。というか怖い。明治の人達って結構ファンキーだったんだなあ。

ぶらぶらしているうちに夜になったので、「蓬華」に行き、ビールを飲み、わさびの花の漬け物と馬刺しと餃子とヒレカツ定食を食べ、ホテルに戻って温泉に入り、寝た。

夜が明け5日、外を見ると相変わらず天気が悪いが、もう松本城も見たし、街にいても仕方がないので、バスに乗って上高地に向かった。写真は上高地に来る度に撮っているアングルからの写真。上高地から奥穂高、前穂高を眺める私。天気は曇りでも山はやっぱり綺麗だ。

上高地でぶらぶらして、温泉でも入るか~などと考えていたが、観光客が大量に溢れていてうんざりしてしまった。鬱陶しかったので、この日は横尾まで歩いて横尾でテントを張って寝ることにした。

美しい景色を眺めながらゆっくり歩き、徳沢を過ぎ、横尾に到着した。横尾まで来ると、流石に人は殆どいない。テントを張っていると雨が降り始めたので、テントに入り、雨の音を聞きながら持ってきた小説を読み、そうしているうちに日も暮れたので寝た。


翌日6日の朝。起床してもまだ雨が降り続いていた。全然やる気が起きなかったが、テントで読書も飽きたので、涸沢にあるテントサイトに向かう事にした。右の写真は雨の降りしきる中、やる気ゼロの状態で涸沢に向かう私。
降りしきる雨の中、横尾谷を黙々と歩いていると、雨が雪に変わってきた。本谷橋をの手前あたりから足下が土から雪に変わり、アイゼンが必要になる箇所が出てきた。雪が緩いのでアイゼンは殆ど効かないが、斜面の所々が氷になっているため仕方なくアイゼンを装着してグズグズの雪の上を進む。

暑いのでTシャツに透湿性素材のジャケットで歩いていたが、気がつくと寒さと雪上歩行で異常なほどに体力消耗していることに気づいた。ジャケットとTシャツの間に何か着ないとマズイことは分かったが、雪が降っているのでジャケットを脱ぎたくない。寒さを我慢して歩き続けたが、疲労と寒さで倒れそうだ。「もうダメだ!」と意を決してジャケットを脱ぎ、フリースを着て、急いでカロリーメイト2つと蜂蜜を頬張り、強引に水で胃に流し込んだ。助かった・・・こんな、なんでもないところで寒さで凍えるところだった。一息ついたが、消耗してしまった体力は全然回復しない。ここで休んでいても仕方がないので急いで涸沢に向かった。

長いザラメ雪の登りをようやく越え、涸沢ヒュッテに到着した。寒さと疲労でヘロヘロだ。雪が降り、殆ど視界もない。最初は涸沢にテントを張るつもりだったが、この体調と天候の中、テントを張る気力も起きなかったし、何よりいろいろ濡れているので乾かしたい。小屋泊まりすれば乾燥室が使える事は昨年槍ヶ岳山荘に泊まった経験から分かっていたので、テントではなく涸沢ヒュッテに泊まることにした。

濡れたモノを全て乾燥室に入れ、荷物を割り当てられた部屋(部屋というか蚕棚と屋根裏部屋を足して2で割ったようなところ)に荷物を置き、売店に行き、生ビールを頼んだ。こんな奥地で生ビールを飲めるとは、さすが涸沢。

ビールを飲みながら涸沢カール越しに奥穂高岳や北穂高岳の方を見たが、殆ど見えない。小屋でやっている天気予報を見ると、今日は一日雨だ。「こりゃ、ここにしばらく停滞するかなあ」などと考えながら小屋をうろうろしたり、談話室で寝ころんで山の写真集を見たり、曇って殆ど見えないのに風景写真を撮ったりしていた。右の写真は涸沢ヒュッテの食堂。ヨーロッパ風で雰囲気がある。立派な木材と大量に使っていて、尚かつ年月を経ている為、重厚なムードを醸し出していた。

そんな風にだらだら過ごしていたら、あっという間に日が暮れたので、布団に潜り、寝た。

翌日7日の朝、起床して天気予報を見ると今日も一日雨のようだ。小屋の人に聞いても、今日行動するのは止めた方が良いという。雨を吸った重たい雪があちこちで雪崩を起こしているようだ。私はガックリきたが、諦めてこの小屋でもう一日停滞することにした。幸いなことに涸沢ヒュッテは居心地は悪くない。売店に行けばカレーやラーメン、おでん、ビールや焼酎が売っているし、談話室には山関係の小説から写真集が大量にある。酒を飲みながら本を読んで、飽きたら涸沢の周りを散歩して雪崩跡を見て回ったり、明日のルートを確認したりして暇を潰した。

涸沢からはこの季節、北穂沢を詰めて北穂高岳へ登るルートと、小豆沢を詰めて奥穂高岳に登るルートがあり、その他にバリエーションルートがいくつかあるが、その両ルートとも降雪と雪崩で潰されてしまっていて、全く踏み跡が見えない。明日もし晴れても自分に登れるだろうかと不安になったが、考えても仕方がないので、うろうろしたり、だらだらしたりして一日を過ごした。 (赤点線が積雪期の涸沢から北穂高岳へのルート、青点線が積雪期の涸沢から奥穂高岳へのルート)

翌日8日朝。起床すると寝床の横にある窓から輝く朝日が見える。天気予報は「曇り時々晴れ」だ。もう停滞は飽きた。今日は行動できそうだ。休養も十分で、筋肉痛はどこにも残っていない。

ザックからサブザックを引っ張り出し、必要な支度を整えた。今日の目標は北穂高岳登頂だ。外に出ると既に数人が北穂高岳に向かったルートを登り始めていた。 (左の写真の中央、ちょうど雲に隠れた奥が北穂高岳山頂)

既に先行者がいるため踏み跡はあるが、雪の状態が最悪で、踏ん張りが効かない。歩き始めからわりと角度のある傾斜の為、結構疲れる。

そうして先行者の踏み跡をトレースしながらしばらく歩いていると、突然上の方から叫び声とも怒鳴り声ともつかない声が聞こえた。顔を上げると、なんと!ものすごい量の雪の洪水がコチラに向かって流れてくる!!私は衝撃のあまり全く動けずに固まっていたが、スゴイ速さで近づいてきて、私達の右2メートル程を通り過ぎていった。北穂を目指して登っている集団の全員が呆然と見守っていたが、雪崩が通り過ぎた後、全員が青くなった。

我々は北穂高岳の南陵と北穂沢のちょうど真ん中くらいを歩いていたのだが、雪崩が来たのはちょうど北穂沢の真上あたり。もう少し右よりを登っていたら全員アウトだっただろう。私は恐ろしくなって前を行く何人かを抜かして岩がむき出しになっている場所まで急登をダッシュし、岩にしがみついた。正直言ってあんなに近くで雪崩を目撃したのは初めてだ。

暫く岩にしがみついていたが、いつまでもびびっていても仕方がないので、再び歩き出した。私を含めて北穂を目指して登っていたのは7名程で、単独若しくは2人のグループの集まりだったが、この雪崩を全員が目撃した事と、踏み跡が全くないためルートがよく分からない事からくる恐怖心が、ばらばらの人間を結びつけたようで、「最高に嫌なモノ見ちゃいましたね」とか「雪崩の通り道は避けないとマズイですね」とか言葉を交わしているうちに、仲間意識が芽生えてきた。全員が「この人達と協力して一緒に乗り切らないと北穂高岳の登頂は果たせない」と感じたのだと思う。少なくとも私はそう思った。

踏み跡が全くないので、グループの先頭に立った人間が雪の中に足場を作らなければ進めないのだが、この作業は結構疲れる。気がつくとトップでラッセルしているのが、グループの中で最も年配の方になっていたので、私は「交代しましょう」と声をかけ、ラッセルと足場作りを買って出た。日が高くなるにつれて雪の腐れ度は増し、高度が上がるにつれ傾斜もきつくなるので足場を作るのにかなり労力を使う。写真はグズグズ地獄の中、必死にもがいて足場を作る私。あちこちで小さな雪崩やチリ雪崩が発生し、雪崩が起きそうな所を避けながら足場を作っていくが、小さな雪崩でもそれが大きな雪崩の予兆である可能性もあるのでルート工作は慎重に慎重を重ねた。

何度かトップを交代してもらいながら、再度私がトップをやることになる頃には、周囲はガスに包まれ、目標にしていた松濤岩(北穂高岳山頂直下にある巨岩。この岩を目指して登るのがこの季節のセオリーになっているらしい。)も見えなくなってきた。雪の急斜面に足を蹴りこみ、足場を作りながらトラバース(斜面を上に向かって登るのではなく、横切ること)をしていると、うしろから「もうそろそろ交代しましょう」と声が掛かった。高度がかなり上がってきていたので雪はだいぶ締まり、足場は作りやすくなっていたが、結構長くトップをやっていたのでチョット疲れた私は素直に「ありがとうございます」と言って交代してもらった。狭いスペースですれ違い、交代してくれた方は「ここから直登で良いですよね」と言いながら、急斜面を真っ直ぐ上に向かって足場を切り始めた。

すると突然、私達の通る足場のすぐ右で大きな雪崩が発生した。最初の雪崩ほどの大きさではないが、結構な急斜面なので直撃すれば全員が流されただろう。トップを交代しないで私がトラバースを続けていたら・・・と考えるとゾッとした。

気を取り直して、トップに立ってくれた方の足場をトレースして1時間弱で松濤岩に辿り着いた。ここから北穂高岳の頂上はもう目と鼻の先だ。写真は松濤岩の前で何か叫んでいる私(右)と、最後のトップ交代で結果的に雪崩を避ける選択をしてくれた方(左)。ここで一息つきながら、完全に一つのグループとなったみんなで健闘を讃え合った。

休憩もそこそこに全員で北穂高山頂に行き、握手をした。北穂高岳山頂には、棒のようなモノが雪の上にひょこっと出ているだけで、それ以外山頂を示すものが何もないのと、ガスで殆ど展望がないので、山頂かどうかもよく分からない。ただ、一応このあたりでは一番高そうな場所ではあったので、危険を乗り越えて山頂に辿り着いたことに大きな満足感を感じた。しかも見ず知らずの人達と協力し合って来れたのは良かった。良い人達ばかりで本当に助かった。

北穂高岳山頂直下、ちょうど松濤岩の反対側には北穂高小屋があり、皆ここに泊まるというので私もそうすることにした。到着したのは昼頃で、まだガスで何も見えない状態だったので、小屋の食堂で酒を飲み始めた。写真は食堂で満足感に浸りながらウィスキーをあおる私。写真を撮ってくれた方が「あの、なんだっけ、青が有名なあの画家・・・の絵みたいな写真が撮れた。」と言うので「フェルメール?」と言うと「そう。それ。」と言う。どれどれと見てみると・・・確かに上着は青いし・・・光の加減も何となく・・・。

北穂高小屋は涸沢ヒュッテのような洗練された雰囲気はなく、アルプスの少女ハイジに出てくるような典型的な山小屋だ。素朴で作りも荒いが、何ともいえない良い雰囲気がある。部屋は完全に蚕棚だがそれもまた良い。宿泊するのは我々のみだったのも良かった。早い時間から食堂で酒を飲みながら、山道具の話や写真の話、よく行く山の話などで談笑したり、夕方になってガスが晴れた頃に写真を撮ったりして過ごした。話していて分かったが、最後に私とトップを交代してくれた方は日本アルパインガイド協会のガイドの方だった。

写真は北穂高小屋前から滝谷方面に広がる大雲海を眺めて佇む私。この写真も前述のフェルメール氏が撮ってくれたのだが「ネスカフェのCMみたいな写真が撮れた」と言うことだった・・・。

一緒に登ってきた方の中に写真好きな方がいて、夕方にはガスは晴れると断言していたが本当だった。晴れるのを待っていると大キレットから槍ヶ岳まですっきりと見渡すことが出来た。槍ヶ岳は去年より雪の付き具合が少ない。昨年苦労したほどの苦労はせずに登れるかもしれない。

今回の旅では、最初は槍ヶ岳に登る予定だった。しかし、上高地に着いた時点の天気予報では前半は行動不能になる可能性のあるような悪天候だった。途中でどこかで停滞する必要がありそうだったが、槍ヶ岳の手前の槍沢で停滞するのが嫌だった。暗いからだ。そこで予定を涸沢からの穂高2峰に変更した。涸沢なら快適な停滞が出来るだろうと考えたからだ。

そんなわけで北穂にいるのだったが、槍ヶ岳を見ていたら無性に行きたくなってきた。ここからどうやって槍ヶ岳に行こうか暫く考えてみたが、この時期単独で大キレットを越えるのは、私の技量ではほぼ不可能だ。大キレットの上には不安定な雪庇が伸び、それを踏み抜いたら一巻の終わりだし、大キレットへの下降路と、大キレットからの登り返しはおそらく懸垂下降と確保が必要だろう。大キレット経由が無理ならば、一度横尾まで戻って槍沢経由で昨年と同様のルートを上る必要があるが、時間的にチョット厳しい感じがした。

なぜこんなに槍ヶ岳に惹かれるのか分からないが、日常生活を送る中でなぜか突然真っ青な空の中に浮かぶ槍ヶ岳の峻厳な佇まいが心に浮かんでくることがあり、また再びあの姿を目にしたいという欲求が今回の旅のきっかけでもあった。そういう意味では、今回の旅の目的はこの時点でもう果たした事になるが、もっと近くで見たいと言う欲求は最後まで拭えなかった。

この日はそうして、酒を飲んで食事をし、話をしているうちに日が暮れたので、自分の蚕棚に戻り、寝た。

翌日9日、朝食をとりながら話をしていると、皆もう下山すると言う。私はあと一日時間があるので、少しこの北穂高小屋でゆっくりしながら今後のプランを考える事にした。ここにもう一泊するという手もある。ここから涸沢に降りてテントを張り、そこでのんびりするのもアリだ。ここから稜線伝いに涸沢岳を越えて、奥穂高岳に登頂するのもいい。

稜線伝いに奥穂に向かうには不安定な雪の稜線を何度もトラバースし、アイゼンをつけたまま岩と雪のミックス地帯を登攀する必要がある。

小屋の人にこのルートについて聞いてみると「単独では難しく、確保の必要がある」と言う人と「行けるんじゃないか」という人がいた。昨年のこの時期に北穂から奥穂の稜線から滝谷側に滑落し、600m落下して亡くなった方もいるという話を涸沢で停滞していた時に読んだ雑誌で見ていたので、かなり腰が引けていたが、とりあえずこの稜線上のルートで最も難しいと言われている涸沢岳の様子を見てみるのも悪くないと思った。北穂高岳山頂からは涸沢岳の様子は松濤岩に邪魔されてよく見ることが出来ないのだ。 「行けるかも」という気持ちと「無理だ」と言う気持ちが交錯し、本当に迷った。暫く小屋の周りをうろうろしたり写真を撮ったりしていたが、とりあえず松濤岩まで行って考えようと、荷物をまとめて出発した。

北穂の山頂に行くと、写真好きの方が写真を撮っていたので、奥穂への稜線の様子を聞くと、驚かれてしまった。「この時期に単独でそんな所を通るなんて、俺には想像もつかない」とのことだ。写真を撮ってもらったりしたが、この方との話で余計迷うことになった。

松濤岩から、涸沢に降りる下降路(昨日の登路)と、奥穂への稜線上の縦走路が分岐する。一応奥穂への縦走路にも踏み跡が残っているので、何人かはこのゴールデンウィークに通っているのだろう。私は意を決して奥穂への縦走路へと踏み出した。

が、20メートルほど松濤岩を巻いてトラバースしたところで諦めた。恐怖心に打ち勝てない。恐怖心を持ったままでは余計な力が入り、何でもないところでヘマをする。この稜線上のルートを抜けるのにチョットでも岩にアイゼンを引っかけたり、雪に足を取られたりして滝谷側に落ちればそれでオシマイだ。私はアイゼン登降のベテランではない。ここで何かアクシデントが起ったら取り返しのつかない事になる。臆病かもしれないが、この精神状態で稜線を踏破することは不可能だと考え、すぐに松濤岩まで戻り、気持ちを切り替え、涸沢への下降路を気楽な気持ちで降り始めた。

晴れ渡る天気のなか、鼻歌交じりで昨日苦労して足場を作ったトレースを降りていく。あっという間に涸沢に到着して、のんびりしながらさっきまでいた北穂や、奥穂方面を眺めていた。最初の1時間くらいは「天気も良いし、このまま明日までのんびり過ごすのも悪くないなあ。」などと考えていたが、暫くするとなんだかだらだらしている事がもったいないことのような気がしてきた。

この時点で朝の10時。まだまだ時間はたっぷりある。涸沢ヒュッテの人に奥穂高岳へのルートについて聞いてみると、奥穂高岳と涸沢岳の間の白出コルにある穂高岳山荘まではゆっくり行っても4時間だそうだ。もう既に何人か登っているようなので、トレースも付いているだろうし、この晴天なら迷うこともないだろう。怖いのは雪崩だが、小豆沢は雪崩の危険性があるので、サイデングラード(支稜線)を伝って登れば雪崩の危険性はかなり回避出来そうだ。降りで体力を使ったので、体力的には少し不安を感じたが、とりあえず穂高岳山荘まで登って、そこでまた奥穂高岳への登頂については考えよう。水を補給して、荷物を整理し直し、善は急げとばかりに涸沢を後にした。写真は決意を新たにして穂高岳山荘の方向を見つめる私。

もう時間は正午近いので雪は腐りきっている。トレースはあることはあるが、踏む度に崩れるので、ものすごく疲れる。また、日差しが強烈で、雪からの照り返しで顔が痛い。エビちゃんOLが使っているようなSPF50+の美白用日焼け止めを使っていたが、全然効いている様子がない。

それでも奮闘して約2時間強。最後の急騰を慎重に足場を固めながら登り、ようやく穂高岳山荘に到着した。ひどく疲れて、なぜか肘から先が痺れていたが、北穂から一旦涸沢まで降りて、ここまで登り返してきたと言うことは、目標到達という意味では北穂から稜線伝いにここまで来たのと変わらない。危険を避けただけだ。写真は白出コルに到着して、疲れで俯く私。

問題はここから奥穂高岳に行くかどうかだ。目の前には危険と言われている白出乗越の崖が見える。この崖を越えて更に稜線上の大雪庇を1時間弱歩けば奥穂高岳の山頂だが、穂高岳山荘の前にいた人によるともう山頂には誰もいないと言う。疲労度を考えると、今日はもうゆっくりして穂高岳山荘に泊まり、明日の朝一で登頂を果たすというのが良さそうだが、明日は涸沢まで降り、荷物をまとめ、そこから更に上高地まで一気に下るという予定がある。出来れば明日は下るだけにしたい。

どうしようか考えていたが、ちょうどその時、今から山頂に行くという方が登ってきた。ここまで登ってくる最中にも、後ろからどんどん私に迫ってくる人がいるなと気づいていて、てっきり若い人かと思ったら60代のベテランだった。この人と一緒に山頂行っちゃうかと「一緒に行きませんか?」と声をかけると「いいよ。」というのでその方と一緒に山頂を目指した。

白出乗越の崖を慎重に登り、雪庇の上を歩く。稜線上の風は強く冷たい。トレースがあるので迷って落ちる心配はないが、稜線は両側に切れ落ちているので、転んで滑ったりしたら非常に危険だ。疲れは頂点に達し、何でもない斜度の登りを歩くのにもゼイゼイ言いながら歩いた。

途中道を間違えたり、雪を踏み抜いたりしながら何とか山頂に辿り着いた。この奥穂高岳は一昨年の夏、西穂高岳から痩せた岩稜線を越えて来て以来2度目の登頂になる。前回も難しかったが、今回は別の難しさがあった。非常に疲れたが、1日に2つのメジャーピークを踏むのはこれが初めてだ。奥穂高岳の山頂の看板を見て懐かしさを覚えながら、周りの風景を楽しんだ。ここからは明日下山する予定の上高地もよく見えるし、うっすらとだが、槍ヶ岳も見える。

ゆっくりしたい気分だったが、カメラとピッケル以外の荷物は全て穂高岳山荘に置いてきているのと、衣類も最小限のモノしか身につけていないので、じっとして体が冷えてしまうと非常に寒い。写真を何枚か撮り、しばらくの間景色を楽しんだ後、山頂を後にした。

写真は穂高岳山荘前のテーブルで夕日に映る山々を眺めながら、今回の旅を振り返る私。前半は天気が悪かったが、小屋でのんびりすることも今までやってみたい事の一つだったので、楽しい思い出だ。見知らぬ人達と一緒になって登るなんてこともなかなか出来ない。行きたいと思っていた北穂高岳にも行けた。槍ヶ岳の美しい姿も再び見ることが出来た。体力的にきついと思っていた奥穂高岳に登頂を果たせたことも嬉しい。なかなか充実した冒険旅行だったように思う。この日はこの後夕食をとり、酒も飲まずにすぐに寝た。

翌日10日の朝。4時半に起床し、5時過ぎに穂高岳山荘を後にした。出発を早くしたのは、朝ならまだ雪が締まっているのでアイゼンが効いて下りやすいだろうと考えた事と、もうこれ以上雪から照り返す紫外線を浴びたくなかったからだ。外には朝日を見るために何人か人がいたので、小屋の上で白出乗越の崖をバックに写真を撮ってもらってから出発した。

予想したとおり雪はまだ締まっている。一歩一歩確実にアイゼンを効かせながらゆっくり下りた。涸沢は周囲を山に囲まれているため、私が出発した時点ではまだ夜が明けていなかったが、ゆっくり下りていると徐々に朝日を浴び始める涸沢を見ることができ、非常に美しかった。写真は朝日を浴る直前の涸沢。

涸沢に到着すると、デポしていた荷物を整理して一つにまとめた。ここから先は雪は残っているが、もう腐っているのでアイゼンは必要ないと判断し、アイゼンもピッケルもしまった。荷物をまとめ終わると売店に行きラーメンを食べた。

昨年槍ヶ岳を去る際もそうだったが、涸沢を去る際には後ろ髪を引かれる思いだった。またこの景色を見ることが出来るのは来年になるだろう。裸眼で景色を目に焼き付けたかったが、もうサングラスなしでは雪から照り返す紫外線を受け止められない。連日の強烈な紫外線に晒され、雪目を患ってしまったのだ。 何度も振り返り、涸沢からの眺めを脳裏に焼き付けながら、横尾への道を下り始めた。

横尾、徳沢と過ぎた。梓川の緩やかで美しい流れや、のぺっとした焼岳が見えてくると、帰ってきた事を実感し始めた。川の流れを眺めながら「ここで釣りしたいなあ」などと、実現不能な事(国立公園内では釣りはたぶん出来ない)を考えながらトコトコ歩いて、上高地に到着したのが11時半。

上高地はいつも観光客で一杯だ。観光客の群れを見ていたら、山にいる間6日間一度も風呂に入っていない事を思い出した。これは生まれて以来、風呂に入らなかった最長記録を更新したのではないだろうか。別に違和感はなかったが、それは本人だけで、他人はどう思うか分からない。いくら何でも風呂には入った方が良いだろうと考え、立ち寄り湯のある上高地アルペンホテルに向かった。

立ち寄り湯は12時からということだったので、途中にある観光客向けのカフェに入りソフトクリームを食べて時間を潰し、アルペンホテルに向かった。

アルペンホテルの風呂は、私の他には誰もいない貸し切り状態だった。誰もいないからと言って、このままの状態でいきなり風呂に入るのはマナー違反だなと、風呂に飛び込んで平泳ぎしたい欲求を抑えながら体を洗い始めた。流石に6日間風呂に入らないとシャンプーも石けんも全く泡立たない。2・3回洗いとすすぎを繰り返し、ようやく泡立つようになった。ついでに着ていた衣服も全て洗って、洗面台にあったドライヤーと扇風機を駆使して乾燥させた。写真では白抜けしてしまっているが、この風呂の窓からは穂高の山々が一望出来る。全部洗い終わって湯船に浸かり、穂高の山々を眺めながら心身共にリフレッシュした。

暫く風呂でゆっくりし、洗濯してキレイになった衣服を身につけ、上高地のバスターミナルに向かった。ここから新島々という駅までバスに乗り、そこから松本電鉄に乗り松本まで出る。新島々の隣の駅で降りて少し行ったところに「山形村唐沢そば集落」と言う蕎麦の店だけの集落があるらしかったので、始めはそこに行こうと思ったが、体が蕎麦ではなくもう少し体力の付くモノを欲していたので、松本に行き、そこで体力のつくものを食べる事にした。

松本駅に到着し、新宿までの切符を買ってから松本の街に繰り出した。まず最初に「萬来」に行き、馬刺しと松本名物・山賊焼きをつまみにビールを飲んだ。ここの馬刺しは行きに寄った「蓬華」のモノより旨かった。山賊焼きとは、山賊が「とり(鳥)あげる(揚げる)」事からきているとか、塩尻にある山賊という店で最初に出した事からきているとか諸説あるが、料理としてはニンニク醤油につけ込んだ鶏肉に片栗粉をつけて揚げた鳥の唐揚げだ。行きに寄った「蓬華」の人は「山賊焼きは松本名物なのに、松本に旨い山賊焼きを食べさせる店は一件もない。これは地元の人間として非常に恥ずかしい事だ。」と言っていた。本当に旨い山賊焼きは塩尻に行かないと食べられないそうだ。

私は今回の旅で2回山賊焼きを食べた。一回は上高地で、もう一回は松本でだが、確かに松本で食べたものより上高地で食べたものの方が美味しかった。つけ込んだタレが云々と言うよりも、使っている鶏肉からして違うような気がした(写真は上高地で食べた方の山賊焼き)。松本の店で松本名物と言うくらいならもう少し美味しくした方が良いだろうなと私も感じた。今度塩尻に山賊焼きだけ食べに行ってみるかな。「萬来」は馬刺しは旨い。けど、山賊焼きはいまいち。☆1つ半です。

ビールを飲み終わり、山賊焼きに軽く失望した私は近所にある「たくま」に行き、カツカレーを食べた。この店は登山をする人間の間で非常に有名な店で、私もそのことを知っていたのだが、これまで行ったことがなかったので今回行ってみることにした。店は松本の民芸品で統一されて雰囲気は良い。カツカレーは普通だ。何で登山好きの間でもてはやされているのか結局分からなかった。強いて言えば量がチョット多いかな。 今時量が多いだけの店はいくらでもあるので、☆1つです。

そんなこんなで松本グルメツアーも終わり、電車に乗り込み、無事帰宅した。釣りも忙しいのでなかなか山に行けないが、夏にもう一度長期山行に出かけたいと思っている。いや、もう少し頻繁に行かないとダメだな。体力的に。でも次は釣りの旅行に出かける予定なので、次回は釣行記になる予定です。

では、また。