2007年11月25日

2007/11/23-25 富士山

ども、ご無沙汰してます。

バイオリズムと運勢が最低期に入り、気分障害を発病したため、なんの活動もせずに家に引きこもっていたが、何もしないで最低期を抜け出せる訳もないため、徐々に活動再開することにした。

これからの季節に活動するためには、最低限の知識と経験がないと死に直結する結果になってしまうので、雪上訓練を受けに富士山にやってきた。山じゃない活動すればいいんじゃね?というつっこみは・・・自分でも気づいてますが、ま、そっとしておいてください。

雪上訓練に来たのはいいのだが、雪が無いように見える。それに上の写真の方向から見る富士山は、なんかショボイ。雪がないのに雪上訓練とはこれいかに?と同行の方に聞いてみると、「頂上での訓練だから関係ない」と仰る。ウーン。きれいな雪山を登りたかったんだけどなあ、などと不満を心の中でつぶやきつつ、帰るわけにもいかないので、ゆっくり登り始めることにした。

何せ2ヶ月間運動らしい運動を全くしていなかったので、出発前はかなり不安だったが、いざ登り始めると、たいしてブランクを感じなかった。「若いんだからさ」などと言って共同装備をしこたま担がされ、トータル25キロ程の荷物を背負っての登りだったが、あまり問題は無かった。 言うほど若く無いんですが・・・と一応簡単な不平は言わせてもらったが。

上の写真は9合目の萬年雪山荘で、萬年雪はどこにあるんだろう?と訝しげに看板を見つめる私。ザックに刺さったスコップが何となく哀愁を誘う感じがする。このスコップは土を掘るためではなく、雪を掘るために持ってきたモノだ。(注:私の物ではない。)

しかし、この9合目を過ぎると雪道が多くなってきた。普通の靴のみで歩くのは危険なので、ここからアイゼンを装着することになった右の写真の靴の底についてるのがアイゼン。中世の拷問器具ではありません。ま、そういう使い方もできるかもしれないが。

前回のブログのエントリを見てくださった方はお分かりかもしれないが、この靴。そう、あのヤフオク行きの運命を背負った靴だ。売らずに寝かせておいたらアラ不思議、私の足にピッタリフィットになっていた。何という奇跡。自ら変わらないと生き残れないと感じたんだろうな。たぶん。びっくりしたのと同時に、何かを教えられた気がした。

このアイゼンを装着して歩き始めたが、さすがに9合目を過ぎると、空気も薄いし風と寒さも強烈だ。きつさを感じたが、やはり雪化粧をした山は美しい。空は抜けるような青で 眼下には美しい雲海が広がっている。

夏場の富士山登山が巷ではプチ流行しているらしいが、私は富士山自体はあまり良い山だとは思わない。上から下まで草木の一本も生えない荒涼とした岩場がずーっと続き、単調な斜度の登りを延々強いられる。暑い中そうした道を歩き続けて登頂してもそこは岩だらけのガレ場に観測所とボロい小屋だけ。渋滞の中そうした登山を経験して「登山ってつまんない」と感じ、山に行かなくなる人が多いと聞かされた時には、もったいない事だと思った。

今回は冬の富士登山になるが、夏の富士登山よりずっと楽だ。当たり前だが暑くもないし、人もほとんどいない。一旦吹雪くと富士山は死の山と化すが、今回の登山はずっと晴天が続いた。白い山に青い空。これ以上美しい風景はなかなかないと思う。

そんな喜びを感じながら、強烈な風と寒さの中、10歩進んで耐風姿勢(のフリをした休憩)を取るといった事を繰り返し、富士山頂小屋に到着した。実際の最高峰は剣ヶ峰と呼ばれる、頂上小屋の少し上にある丘の上なのだが、今日はここにテントを張って、明日の訓練に備える事になっていた。

左の写真は、頂上小屋前で遠い空を見つめて物思いに耽る私。雪山に来て、何かを吹っ切って突き抜けたいと考えていたが、この後ろ姿の雰囲気からは何かを吹っ切った感じは全くしない。 彼にはもっと頑張って欲しいと思います。

しばらく頂上小屋前でのんびりした後、あまりの寒さにテントに潜り込み、酒を飲むことにした。私も大量の焼酎を下界から持ち込んでいたが、酒を飲む人はみんな私と同量程度のウイスキー等、所謂原液を持ってきていたため、テント内は一瞬にして飲み屋に変わった。

飲み始めてすぐにどこかで読んだ話を思い出した。「高所では酔いが回るのが早い」と言う話だ。これまで、高いところで酒を飲む機会は何度かあったが、さして酔っぱらった記憶は無かったので、そうした話はヒマラヤなどの特殊高地の話だろうなと大して気にしていなかったが、さすが富士山3776メートルすごく酔う。何杯か飲んで内心「これはマズイ」と思い、隣で飲んでる方の顔を見ると、むこうも真っ赤な顔でこっちを見つめて「こりゃヤベーな」という顔をしている。少しペースを落とす事にしたが、もう遅い。気持ちよくなってしまったため、どんどん酒が進んだ。ただし飲んでいない方もテント内にいるため、騒いだりはしない。終始無言だ。

そうして、酒飲み組だけ申し訳なさそうに酒を黙々と消化していると、晩飯の調理が始まった。今日の晩飯は、栗の炊き込みご飯、麻婆春雨、鯖味噌鍋、焼き鳥だ。なんたる贅沢、豪勢過ぎる・・・。富士山頂でこんな食事ができるとは思いも寄らなかった。ただ、問題があった。みんな小食だったのだ。

・・・
そして、私が大食漢だと思われていたようだ。各自自分の食器を食事当番の方に渡して食事をよそってもらうのだが、無言で私の器に盛られる量が他の人の倍以上なのにびっくりした。私のどこが大食漢に見えるのだろうか・・・。酔った頭で、これは喰うしかないなと覚悟を決め、食べまくった。美味かったのだが、自分の限界を超えても食う必要があったのはつらかった。ちなみに私の普段の食事量は至って人並みです。

そうして、食事を終えるともうやることはない。時間は早いが寝ることになった。酔っていたのですぐに寝ることができたが、やはり寝始めて3時間ほどで目を覚ました。胸が苦しく頭が痛い。呼吸もつらい。「もしや高山病か!?」と思い不安になったが、飲酒と過食が原因なのか高山病なのか判断できずにとにかく我慢することにした。

しかし、一度目を覚ましてしまうと、テント内のあまりの寒さで全く眠ることができない。どのくらい寒いかというと、自分の息がテントの内壁に付着してそれが一瞬で凍り、間断なく霜が顔に落ちてくる程寒い。その氷から逃げるために寝袋の中に顔を隠すと、今度は息苦しくて死にそうになる。強烈な風がテントに終始たたきつけているため、すさまじい音と揺れが続く。とうとう我慢できずにテントを抜け出し、星を見て気分を紛らわす事にした。極寒の中、美しい星と月を眺ていたが、寝ないと明日の訓練がつらすぎると思いテントに戻りシュラフに入った。 が結局朝までほとんど寝ることができなかった。

翌朝4時に起床し、御来光を見ることにしたが、私以外の方は誰も見に来ない。訓練にきて、そんなモン見るなんて軟弱だと言わんばかりだ。 結局共同で作業しなければならない仕事ができたので、御来光の観察はできなかった。左の写真は御来光が出てくるチョット前。それでも十分壮大な景観を堪能できたので良かったが、もう少し見ていたかったかな。

テントを片づけると、まず日本の最高峰、富士山剣ヶ峰に向かうことになった。寒さがきつく、足の指などほとんど感覚が無かったが、頂上小屋からはたいした距離ではないので、途中アイゼンワークの訓練などを行いつつも、まもなく頂上に到着した。

寒さと風で極限まで追いつめられていたので、喜ぶ余裕はあまりなかったが、ここからの眺めはやはり日本最高峰。素晴らしかった。 訓練のまっただ中の緊張した雰囲気だったため、記念写真や風景の写真をほとんど撮れなかったのが残念だった。正直カメラのシャッターを押すため手袋を脱いだだけで凍傷になるかと思った

この後、アイゼンワークとピッケルを使った滑落停止の訓練を行った。滑落停止の訓練とは、歩いて登ってわざと雪と氷の斜面を滑落し、講師役のベテランの方が吹く笛が鳴るまで何もせず仰向けでそのまま落ち、笛の音と同時に体を俯せに反転させ、ピッケルを使って滑落を止めるというものだ。早く笛を吹いて欲しいところだが、慣れないウチは笛の音が鳴るのが異常に遅く感じる

歩いている最中、突然後ろの男に蹴飛ばされて斜面から落とされ、滑落停止行為を強制されると言う、戸塚ヨットスクールもビックリのハードな訓練もあると聞いていたので、自分の意志で落ちることができるだけまだましだが、歩いて登って落ち、登って落ちを繰り返すのは相当疲れる。しかもここは富士山の頂上、息を整えるのも一苦労だ。ヘトヘトになったころ訓練は終了し、下山することになった。

下山して温泉に行こうという話だったので、サクサク降りて、近くにある「御胎内温泉」に向かった。

この温泉、行く前はさして期待していなかったが、素晴らしい温泉だった。なんと露天風呂から富士山が丸々見ることができるという。実際に入ってみると看板に偽りなし。 格好いい富士山丸見え。カメラを風呂に持ち込むという反則気味の手で風呂からの眺めを写したのが左の写真。私が露天風呂から写真を撮っていると、一緒に風呂に入った方に「この写真は後ろから撮らなくていいの?」と言われた(笑)。さすがにココに後ろ姿とはいえ全裸は出すのはマズイ。