2007年11月25日日曜日

2007/11/23-25 富士山

ども、ご無沙汰してます。

バイオリズムと運勢が最低期に入り、気分障害を発病したため、なんの活動もせずに家に引きこもっていたが、何もしないで最低期を抜け出せる訳もないため、徐々に活動再開することにした。

これからの季節に活動するためには、最低限の知識と経験がないと死に直結する結果になってしまうので、雪上訓練を受けに富士山にやってきた。山じゃない活動すればいいんじゃね?というつっこみは・・・自分でも気づいてますが、ま、そっとしておいてください。

雪上訓練に来たのはいいのだが、雪が無いように見える。それに上の写真の方向から見る富士山は、なんかショボイ。雪がないのに雪上訓練とはこれいかに?と同行の方に聞いてみると、「頂上での訓練だから関係ない」と仰る。ウーン。きれいな雪山を登りたかったんだけどなあ、などと不満を心の中でつぶやきつつ、帰るわけにもいかないので、ゆっくり登り始めることにした。

何せ2ヶ月間運動らしい運動を全くしていなかったので、出発前はかなり不安だったが、いざ登り始めると、たいしてブランクを感じなかった。「若いんだからさ」などと言って共同装備をしこたま担がされ、トータル25キロ程の荷物を背負っての登りだったが、あまり問題は無かった。 言うほど若く無いんですが・・・と一応簡単な不平は言わせてもらったが。

上の写真は9合目の萬年雪山荘で、萬年雪はどこにあるんだろう?と訝しげに看板を見つめる私。ザックに刺さったスコップが何となく哀愁を誘う感じがする。このスコップは土を掘るためではなく、雪を掘るために持ってきたモノだ。(注:私の物ではない。)

しかし、この9合目を過ぎると雪道が多くなってきた。普通の靴のみで歩くのは危険なので、ここからアイゼンを装着することになった右の写真の靴の底についてるのがアイゼン。中世の拷問器具ではありません。ま、そういう使い方もできるかもしれないが。

前回のブログのエントリを見てくださった方はお分かりかもしれないが、この靴。そう、あのヤフオク行きの運命を背負った靴だ。売らずに寝かせておいたらアラ不思議、私の足にピッタリフィットになっていた。何という奇跡。自ら変わらないと生き残れないと感じたんだろうな。たぶん。びっくりしたのと同時に、何かを教えられた気がした。

このアイゼンを装着して歩き始めたが、さすがに9合目を過ぎると、空気も薄いし風と寒さも強烈だ。きつさを感じたが、やはり雪化粧をした山は美しい。空は抜けるような青で 眼下には美しい雲海が広がっている。

夏場の富士山登山が巷ではプチ流行しているらしいが、私は富士山自体はあまり良い山だとは思わない。上から下まで草木の一本も生えない荒涼とした岩場がずーっと続き、単調な斜度の登りを延々強いられる。暑い中そうした道を歩き続けて登頂してもそこは岩だらけのガレ場に観測所とボロい小屋だけ。渋滞の中そうした登山を経験して「登山ってつまんない」と感じ、山に行かなくなる人が多いと聞かされた時には、もったいない事だと思った。

今回は冬の富士登山になるが、夏の富士登山よりずっと楽だ。当たり前だが暑くもないし、人もほとんどいない。一旦吹雪くと富士山は死の山と化すが、今回の登山はずっと晴天が続いた。白い山に青い空。これ以上美しい風景はなかなかないと思う。

そんな喜びを感じながら、強烈な風と寒さの中、10歩進んで耐風姿勢(のフリをした休憩)を取るといった事を繰り返し、富士山頂小屋に到着した。実際の最高峰は剣ヶ峰と呼ばれる、頂上小屋の少し上にある丘の上なのだが、今日はここにテントを張って、明日の訓練に備える事になっていた。

左の写真は、頂上小屋前で遠い空を見つめて物思いに耽る私。雪山に来て、何かを吹っ切って突き抜けたいと考えていたが、この後ろ姿の雰囲気からは何かを吹っ切った感じは全くしない。 彼にはもっと頑張って欲しいと思います。

しばらく頂上小屋前でのんびりした後、あまりの寒さにテントに潜り込み、酒を飲むことにした。私も大量の焼酎を下界から持ち込んでいたが、酒を飲む人はみんな私と同量程度のウイスキー等、所謂原液を持ってきていたため、テント内は一瞬にして飲み屋に変わった。

飲み始めてすぐにどこかで読んだ話を思い出した。「高所では酔いが回るのが早い」と言う話だ。これまで、高いところで酒を飲む機会は何度かあったが、さして酔っぱらった記憶は無かったので、そうした話はヒマラヤなどの特殊高地の話だろうなと大して気にしていなかったが、さすが富士山3776メートルすごく酔う。何杯か飲んで内心「これはマズイ」と思い、隣で飲んでる方の顔を見ると、むこうも真っ赤な顔でこっちを見つめて「こりゃヤベーな」という顔をしている。少しペースを落とす事にしたが、もう遅い。気持ちよくなってしまったため、どんどん酒が進んだ。ただし飲んでいない方もテント内にいるため、騒いだりはしない。終始無言だ。

そうして、酒飲み組だけ申し訳なさそうに酒を黙々と消化していると、晩飯の調理が始まった。今日の晩飯は、栗の炊き込みご飯、麻婆春雨、鯖味噌鍋、焼き鳥だ。なんたる贅沢、豪勢過ぎる・・・。富士山頂でこんな食事ができるとは思いも寄らなかった。ただ、問題があった。みんな小食だったのだ。

・・・
そして、私が大食漢だと思われていたようだ。各自自分の食器を食事当番の方に渡して食事をよそってもらうのだが、無言で私の器に盛られる量が他の人の倍以上なのにびっくりした。私のどこが大食漢に見えるのだろうか・・・。酔った頭で、これは喰うしかないなと覚悟を決め、食べまくった。美味かったのだが、自分の限界を超えても食う必要があったのはつらかった。ちなみに私の普段の食事量は至って人並みです。

そうして、食事を終えるともうやることはない。時間は早いが寝ることになった。酔っていたのですぐに寝ることができたが、やはり寝始めて3時間ほどで目を覚ました。胸が苦しく頭が痛い。呼吸もつらい。「もしや高山病か!?」と思い不安になったが、飲酒と過食が原因なのか高山病なのか判断できずにとにかく我慢することにした。

しかし、一度目を覚ましてしまうと、テント内のあまりの寒さで全く眠ることができない。どのくらい寒いかというと、自分の息がテントの内壁に付着してそれが一瞬で凍り、間断なく霜が顔に落ちてくる程寒い。その氷から逃げるために寝袋の中に顔を隠すと、今度は息苦しくて死にそうになる。強烈な風がテントに終始たたきつけているため、すさまじい音と揺れが続く。とうとう我慢できずにテントを抜け出し、星を見て気分を紛らわす事にした。極寒の中、美しい星と月を眺ていたが、寝ないと明日の訓練がつらすぎると思いテントに戻りシュラフに入った。 が結局朝までほとんど寝ることができなかった。

翌朝4時に起床し、御来光を見ることにしたが、私以外の方は誰も見に来ない。訓練にきて、そんなモン見るなんて軟弱だと言わんばかりだ。 結局共同で作業しなければならない仕事ができたので、御来光の観察はできなかった。左の写真は御来光が出てくるチョット前。それでも十分壮大な景観を堪能できたので良かったが、もう少し見ていたかったかな。

テントを片づけると、まず日本の最高峰、富士山剣ヶ峰に向かうことになった。寒さがきつく、足の指などほとんど感覚が無かったが、頂上小屋からはたいした距離ではないので、途中アイゼンワークの訓練などを行いつつも、まもなく頂上に到着した。

寒さと風で極限まで追いつめられていたので、喜ぶ余裕はあまりなかったが、ここからの眺めはやはり日本最高峰。素晴らしかった。 訓練のまっただ中の緊張した雰囲気だったため、記念写真や風景の写真をほとんど撮れなかったのが残念だった。正直カメラのシャッターを押すため手袋を脱いだだけで凍傷になるかと思った

この後、アイゼンワークとピッケルを使った滑落停止の訓練を行った。滑落停止の訓練とは、歩いて登ってわざと雪と氷の斜面を滑落し、講師役のベテランの方が吹く笛が鳴るまで何もせず仰向けでそのまま落ち、笛の音と同時に体を俯せに反転させ、ピッケルを使って滑落を止めるというものだ。早く笛を吹いて欲しいところだが、慣れないウチは笛の音が鳴るのが異常に遅く感じる

歩いている最中、突然後ろの男に蹴飛ばされて斜面から落とされ、滑落停止行為を強制されると言う、戸塚ヨットスクールもビックリのハードな訓練もあると聞いていたので、自分の意志で落ちることができるだけまだましだが、歩いて登って落ち、登って落ちを繰り返すのは相当疲れる。しかもここは富士山の頂上、息を整えるのも一苦労だ。ヘトヘトになったころ訓練は終了し、下山することになった。

下山して温泉に行こうという話だったので、サクサク降りて、近くにある「御胎内温泉」に向かった。

この温泉、行く前はさして期待していなかったが、素晴らしい温泉だった。なんと露天風呂から富士山が丸々見ることができるという。実際に入ってみると看板に偽りなし。 格好いい富士山丸見え。カメラを風呂に持ち込むという反則気味の手で風呂からの眺めを写したのが左の写真。私が露天風呂から写真を撮っていると、一緒に風呂に入った方に「この写真は後ろから撮らなくていいの?」と言われた(笑)。さすがにココに後ろ姿とはいえ全裸は出すのはマズイ。

2007年9月23日日曜日

2007/9/22 谷川岳

登山靴を購入した。以前の西穂-奥穂縦走でお気に入りのハイキングシューズのソールがはがれてしまったためだ。購入から4ヶ月という驚くべき短命の靴だった。そんな事ってあるんだね。

右の写真の右の靴がそのソールがはがれた靴(Merrell Switchback Goretex)で、左の靴が新しい靴(Scarpa Summit Lite GTX)。今回購入した靴はスーパーハイスペック。12本爪のワンタッチアイゼンも装着可能でソールの張り替えも可能な本格派だ。その代わり、前の靴にあった柔らかさや軽さはない。とにかく堅く、手でひねった位ではびくともしないし、実際に履いて全体重を乗せてつま先立ちしてみても、全くソールが曲がらない。雪渓の上でアルペン踊りを踊っても怖くない!・・・はずだ。そんなことしないけど。

買ったのはいいが、小川山やフリーのジムに行くのに忙しくて、こいつの試し履きを全くできないでいたため、この3連休を使ってこいつの初陣を飾ってやることにした。 さてどこにするかと考えた末、谷川岳に行くことにした。理由は簡単。日本の岩登りシーンを飾る数多くのエピソードを持つ、一ノ倉沢衝立岩をこの目で見たいと以前から考えていたためだ。エピソードに興味があるかたは自分で探してみてください(汗。いずれ所属する会でこの谷川岳の衝立岩を登ることになるだろう。その前に自分の目でどのようなところかどうしても確かめておきたかった。3連休なので、たっぷり2日かけて谷川連峰馬蹄形縦走をすることにしたので、順調にいけば谷川岳東面に位置する絶壁をこれでもかというくらい堪能することができるだろう。ただし見るだけ。

さて、行くと決めたのはいいが今回はどうも調子がでない。前日に準備を済ませ、22日早朝4時に起きたのはいいが、シャワーを浴びて着替えを済ませてもまだ「ん~。どうしようかなぁ。あんまり気乗りしないなあ。」などと考え、女々しく部屋の中をうろうろしていた。しかし、意を決して家を出発。東京発のMaxときに乗り込み越後湯沢に到着。そこから東京方向水上線に乗り込み土合に到着。駅から登山口は目と鼻の先だ。

上の写真の「現在地」が登山道入り口。ここから反時計回りに白毛門、笠ヶ岳、朝日岳、清水峠、七ッ小屋山、蓬峠、武能岳、茂倉岳、一ノ倉岳とぐるっと谷川連峰を歩き、最後に谷川岳の頂に立つのが前述の谷川岳馬蹄形縦走だ。一日目の目的地は馬蹄形の頂点にある清水峠で、ここでキャンプを張る予定を立てていた。ここまで来て気合いが入らないなどと言っていてもしょうがないので、靴の紐を締め直し、ゆっくり登り始めた。この白毛門(しらがもんと読みます)登山口から清水峠までは標準コースタイムで8時間超。登山口出発が10時30分なので、常識的に考えれば清水峠に日のあるウチに到着するのは無理なプランなのだが、私は自分の体力を過信して「ま、なんとかなるだろう」と軽い気持ちで登り始めたのだった。

急登を歩き始めて、30分を経過した頃、足に異変を感じ始めた。妙に踵に靴があたる。これはマズイと思い、靴を脱いで踵にテーピングを巻き、先を急いだ。こんなところでもたもたしていたら、とてもじゃないが清水峠に到着できない。白毛門を超え、朝日岳まで登り切ってしまえば、後は穏やかな稜線歩きのはずだ。そこまでは多少足が痛くても、我慢してたどり着かなければならない。

我慢して再び歩き始めたのだが、踵の痛みが強烈で、とてもいつものペースで歩けない。おまけにガチガチに堅いソールのおかげでいつもの足運びができないので、更に歩くスピードが落ちる。樹林帯の合間から谷川岳の岩壁が顔を覗かせてきた。もう少し頑張ればもっとよく見えるはずだと自分を励まして、靴の中敷きを抜いたり、テーピングを厚くしたり、靴下をもう一枚履いて歩くのだが、とにかく痛みが半端じゃない。

・・・簡単に言うと、心が折れてしまいました。はい。4時間ほど頑張ったが、とてもじゃないがこの痛みに耐えて清水峠までたどり着けるとは思えなかった。ましてや翌日、隣に見える谷川岳の頂上まで行くことは精神的にも肉体的にも不可能だと思った。

誰かが言っていた。「単独行ってのはなぁ、孤独に耐え、苦しさに耐え、疲れに耐える修験なんだ。単独で山に行くということは、山岳信仰の修験者としての道を歩むことなんだよ。」と。だが、私はそんなつもりは毛頭ない。楽しめないならやめるべきだ。足の痛みも含めていろいろな意味で今回の山行には楽しむのに必要な要素が足りなかったのだろう。

谷川岳東面の岩壁がよく見える開けた小ピークで靴を脱ぎ、ギブアップを決めると、とたんに気が楽になった。谷川岳の岩壁を眺め、太陽を浴びて寝そべっていると、登山を始めたきっかけになった丹沢の山登りを思い出した。塔ノ岳を目指して登ったのはいいが、体力不足のため、途中でギブアップした。あのときも目的は達成できなかったが、非常に楽しかった。今回も失敗したが、不思議と悔しくはない。目的だった谷川岳の岩壁も見ることはできた。またココにきて、そのときこそは目的を達成しよう。1時間ほど岩壁を眺めたあと、東京へ踵を返し、家路を急いだ。谷川岳日帰りなんてかなりもったいない旅になってしまったが、今回は仕方がない。(右の写真は憧れの一ノ倉沢衝立岩を眺めながら涙をぬぐう私。・・・涙はウソ。)

しかし、この靴どうしようかな・・・。ヤフオク行き・・・かなぁ。でも一度履いた靴は売れないか・・・。俺だったら買わないもん。

2007年8月27日月曜日

2007/8/25-26 西穂高岳-奥穂高岳縦走

ここのところ岩登りばかりしていて、あまり山歩きをしていない。あろう事か合宿では1キロ太ってしまったくらいだ。この週末は会の山行もなさそうなので、久々に野生の勘を取り戻すべくテント縦走を計画することにした。どこに行くかと前日の夜中まで考えた末、以前からいつかは行かなくてはならないだろうと狙っていた西穂-奥穂縦走に向かうことにした。この縦走路は日本の地図上の登山道の中では最難ルートの一つとして名高く、どのガイドブックや地図を見ても「初心者は絶対近づくな」とか「岩登り経験者以外立ち入り禁止」とか書いてある。(例:wikipediaによる説明。ルートの項参照。)そうしたガイドブックを見る度に挑戦意欲がかき立てられぞくぞくしていた

新宿発7:00のスーパーあずさに乗り込み、松本着9:30。そこから10:35発のバスで新穂高まで2時間。新穂高からロープウェイで西穂高山荘下まで高度を稼ぎ、そこから歩いて西穂高山荘に3:00着。右の写真は西穂高山荘からの西穂-奥穂ルートの眺めだ。西穂高山頂付近から先は不気味な暗雲が立ちこめている。本来ここから奥穂高山頂に向かうには、まずこの西穂高山荘で小屋泊まりかテント泊をするのだが、2日という行程で余裕を持って行動するために、私はこの先の西穂高山頂で計画ビバークをする予定を組んでいた。この計画ビバークについては後述する。西穂高山荘から奥穂高山頂まで、標準コースタイム8時間。そこから下山までを全て翌日に歩く計画にしてしまうと、精神的にもつらい。それならば、25日の内にできるだけ距離を稼いでおいて、翌日の行程を楽にするのが得策だと以前から考えていた。

西穂高山荘は大勢の登山客で賑わっていたが、その喧噪を尻目に西穂高山荘を後にしたのが3:30。ひたすら西穂高山頂を目指し歩いて、西穂高山頂に到着したのが5:00。以前からこのルート上のどのあたりにビバーク好適地があるのかをネットで調査していて、西穂高山頂に一張り分だけビバーク用のスペースがあることが分っていた。この西穂高山頂のビバーク地を逃すと、次は間ノ岳(西穂高山頂からコースタイム1時間程度)か天狗ノ頭(西穂高山頂からコースタイム2時間程度)にしかビバークできるスペースはない。ちなみにビバークには計画ビバーク(forecast bivouac)と不時ビバーク(forced bivouac)があり、普通ビバークというと雪の中ホワイトアウトに見舞われ、進退窮まって露営する様なイメージを持っている方も多くいると思うが、国の定めたキャンプ指定地以外での露営を一般的にビバークと呼ぶようだ。新宿の地下で寝泊まりしている方たちも言い方によってはビバークということになる。長期の

事前の調査通り、西穂高岳山頂には一張り分だけテントを張るのに適したスペースがあった。ここで早速テントを張り、山頂でのんびりコーヒーを飲んだり写真を撮ったりした。さすがにこの時間には山頂には誰もいない。西穂高岳独り占めだ。今回がキャンプ指定地以外の露営は初めてだったが、誰もいない山頂にテントを張り、そこでのんびりするのは最高に気持ちがいい。しばらくすると美しい夕暮れがあたりを包み、聞こえるのは風の音だけ。雲上に浮かぶ夕日に照らされた周囲の山々を眺めていると、これがまさしく雲上の楽園だなと思った。

計画では、翌日歩く西穂高山頂から奥穂高山頂までが今回のルートで最も苦しく危険なルートのはずだ。本来ならすぐにでも休息に入るべきなのだが、私はあまりの周囲の眺望の美しさに、テントと山頂の間、ほんの3メートルくらいなのだが、カメラをとったり、三脚をとったり、コーヒーをとったり、ちょこまかちょこまかと動き、その登下降だけですっかり疲れてしまった。しかし沈む夕日を見ながらコーヒーを飲んでいると、そんな疲れも忘れ、やっぱりハイキングはいいなあなどと感慨に耽っていた。たださすがに日が沈み切ってしまうとやることもないので、シュラフに潜り、眠ることにした。

翌日日の出と共に目を覚ますと、朝日に照らされた西穂高-奥穂高の稜線がくっきり見える。実際の核心部は角度の関係で隠れているが、鋭く切り立った無数の岩峰が目の前に立ちはだかっている。そんなにきつそうではないな、などと考えながら朝日と稜線を見ながら朝食を摂り、しばし周りの景色を堪能した後、テントを片付け、西穂高岳山頂を出発したのが6:00。私はいつもテントで泊まった次の日の朝はなぜか気分が悪いのだが、この日もご多分に漏れず、調子が悪かった。しかしそんなことも言ってられないので、ゆっくりを歩を進めた。

歩き始めて少しもしないうちに、だんだんとアップダウンが激しくなってきた。傾斜はそれほど立っている訳ではないので、いつもの岩登り用の装備ならさして問題のないはずのルートなのだが、今回はテント、食料、その他の装備20キロ近くを背中にしょっての岩登りになる。とにかくこのザックの重さと大きさが常に私を苦しめた。クライムダウンする箇所や、切り立った崖をトラバースするような場所では常に後方に引っ張られるし、急所の至る所でザックが引っかかりバランスが大きく崩されて、非常に危険な状況に陥る。 何度か危険を感じた箇所はあったが、これまでの岩登りの経験が生きたのか、高度感にめげる事なく、自分の技術に自信を持ち、常に3点確保を心がけて慎重に進んだ。

「高度感」と一言で言われても普通の人は分らないと思う。高いところに立つと怖いと感じるのは皆一緒で、例えばサンシャイン60の屋上の柵の外に立って怖くないという人は、一種の病気だ。怖いと思うからこそ安全策を講じたり、最大限の注意を払うのだが、あまり強く怖さを感じてしまうと体が萎縮してしまい、逆に危ない。この点を克服するのはやはり慣れが一番だが、あまり下を見ないという事も大切な技術の一つだと思う。例えば右の写真の様なところで、下ばかり向いて「落ちたら死ぬ、落ちたら死ぬ」などと考えていたら怖いに決まっている。自分の手と足をしっかり固定しつつ慎重に進めば、絶対に落ちることはないと信じるしかない。

そういう意味では登りよりも下りの方が圧倒的に怖いケースが多い。登りはいくら角度が立っていても、基本的に頑張るだけだが、下りの場合、それにプラスして嫌でも自分がどのくらい危ないところにいるのかが目に入ってくる。左の写真の様な場所を登るのはそう難しくなさそうに思えるが、実は下を見ると上の写真のようになっている箇所がこのルートでは切れ目なく続き、常に緊張感を持続させている必要がある。私の場合前回参加した合宿で、アブミ登攀をした際に高度感への恐怖心リミッターが解除されたように思う。怖いとは感じるが、それが体の動きを妨げる様な事は全くなかった。

何度ピークの登下降を繰り返しただろうか、両側が鋭く切れ落ちた痩せた稜線地帯を慎重に歩き始めて3時間程経過した頃、ジャンダルムに到着した(wikipediaによるジャンダルムの説明)。ジャンダルムとはフランス語で憲兵の意味だそうで、さしずめ奥穂高岳という王を守る兵士というところだろう。ジャンダルムに登る方向を記したペンキには矢印と一言だけ「ジャン」とかかれていた。洒落た名前だ。「おしん」とは大違い。右の写真はジャンダルムの頂上から槍ヶ岳を眺める私。岩登りをするには荷物が大きすぎる。このジャンダルムに到着してしまえば、奥穂高岳は目と鼻の先だ。ジャンダルムの頂上から、奥穂高の頂上の人影もくっきり見ることができる。

ジャンダルムを慎重に下り、最後の難関「馬の背」にやってきた。ここまでの行程から比べれば、こんなところはなんの問題もない(でもここが一番あぶねーな、と思った)。 ここを慎重に登り、無事奥穂高岳山頂に10:00に到着した。
かなり慎重に歩いたつもりだったが、一般のコースタイムよりも若干早いペースで到着できたようだ。しかし、このときの私は、私の後続にいたはずの何名かのソロの登山者数名が全く現れない事の方が気になっていた。敗退したのだろうか、それとも落ちてしまったのだろうか・・・山頂に30分ほど留まって待ってみたが、いっこうに現れる気配がなかった。

奥穂高に到着して、このルートを振り返って見ると、確かに高度感もあり場所によっては注意深くホールドやステップを探さないと、ぶら下がってしまうような箇所もあるが、やはりそこは登山道。注意深く進めば、そこまで問題になるような箇所はなかったように思う。ただ、荷物はできるだけ軽くしていくことをお勧めします。間違っても20キロ級の荷物を背負って行くところではないです。この荷物の重さのおかげであと皮一枚で肉というところまで手の皮がむけた。ま、その荷物のおかげで西穂高山頂という地上の楽園でのビバークができたので、個人的には良かったけれど。

後続の方とお互いの健闘を称えて握手でもしたかったが、いくら待ってもこないので、10:30に奥穂高岳を後にして、吊り尾根、紀美子平を抜けて、途中涸沢ヒュッテの無数のテントや前穂高岳に残る雪渓を眺めつつ、岳沢まで一気に降りた。岳沢着13:00。奥穂高から岳沢まで下るにはもう少し時間が掛かるはずなのだが、一度も休憩を取らずに一心不乱に下ってきたため、予定よりかなり早い時間に到着できた。ここから上高地まではコースタイムで2時間、私の足なら1時間強で到着できるだろう。昼食も摂らずに歩いたので、ここでカップラーメンを買って食べた。エビは残して小屋の親父に謝った。(左の写真が重太郎新道から見た岳沢小屋。7・8月のみ営業で飲み物の他、カップラーメンも買うことができる)

岳沢小屋からは森の中の静かな小径が続く。梓川支流のせせらぎの音が聞こえてきたら、目的地はすぐそこだ。上高地に到着すると、あまりの観光客の多さに驚いた。みんな暑い都会を逃れて涼をとりに遊びに来ているのだろう。梓川にかかる有名な河童橋から振り返ると、左から右に大きく穂高の山々が連なっているのがよく見える。私の歩いた稜線はほとんど雲に隠れているが、あの全稜線を2日で踏破したんだな。と、思ってみると感慨深かった。

今回は2日というタイトなスケジュールだったが、次回は3日くらいかけて、槍ヶ岳まで歩いてみたい。いや、できれば1週間くらいかけて剣岳まで歩ければ最高だろう。奥穂高山頂から北の眺めは、そう思わせるのに十分な絶景だった。ただし、西穂-奥穂間はパスして。

2007年8月20日月曜日

2007/8/15-19 瑞牆山

夏休みの後半を利用して、奥秩父にある瑞牆山にやってきた。この付近の山では金峰山が有名で、瑞牆山は知名度の点では金峰山に劣るが、岩登り、特にクラッククライミングの岩場として関東圏では知る人ぞ知る存在のようだ(私は知らなかった)。実質4日間の滞在で、前半をマルチピッチのエイドクライミング練習、後半をフリーの練習に当てる。私はついて行っただけなので詳しいことは人任せだ。

到着してみると、かなり清潔なキャンプサイトに滞在できるようで、事前に想像していたサバイバルなイメージはいきなり覆された。広大な芝生の敷地の中に、水道、トイレ、テーブルやベンチまであり、家族連れのオートキャンパーが利用できるような場所で、冒険を求めてやってきた私は少々拍子抜けした。いつもこうした合宿に参加している同行していた方の一人が、しつこいくらいに「こんなの違う」と繰り返していたのが印象的だった。

1日目は瑞牆山の頂上に隣接する高さ40メートルの巨岩、大ヤスリ岩(上の写真の中央部頂上付近に見える斜めに傾いた岩)の頂上を終了点とする通称「ハイピークルート」を登攀した。ここで私は始めてアブミを使ったエイドクライミングを体験した。アブミとは、通常馬具の足をかける部分の事を指すが、クライミングでアブミという場合、ナイロン製の5段程度の縄ばしごの事を指し、この縄ばしごを2つ持ち、交互に岩に打ち込まれたボルトに掛け替えて高度を稼ぐ登り方をエイドクライミングのA1というグレードで表現する。(右の写真に写っている紺色のナイロン製縄ばしごがアブミ)

このアブミの掛け替えが、慣れないうちは非常に怖い。何せ全体重を抜けるか抜けないか分らない一本のちっちゃいボルトに掛けたアブミの上に乗せ、下を見ると落ちたら即死間違いなしの高度でぶらぶらしているのである。最初のうちは、垂直に切り立った壁のアブミ(と私)の掛かった一本のボルトを見つめながら「これが抜けたらら終わりだな」などと考えて異常に興奮していたが、そのうちにそんな事を考えても動作がのろくなってしまうだけだと気づき、全てを忘れる事にした。通常こんな危険なところで初めてアブミの掛け替えを体験するのではなく、安全な場所で練習してからこうした本番に臨むのが、物事の手順というものだと思うのだが、同行した経験豊かな先輩方は「ま、ダイジョブだろ」の一言で済ませていた。実際大丈夫だったから別に気にしていないが、大丈夫じゃなかったらどうするつもりだったのだろうか。ま、帰らされただけだな。たぶん。

アブミの掛け替えにも徐々に慣れ、この日は無事ハイピークルートを完登することができた。最後の1ピッチ、大ヤスリ岩の人工登攀で尋常でない緊張感を味わったため、その分頂上での満足感もひとしおだった。

2日目は瑞牆山頂上直下をダイレクトに登攀する本峰南壁上部フェースに行った。このルートを登ると、終了点がまさに瑞牆山の頂上なので否が応でも一般登山者の注目を浴びるのだが、頂上にいる登山者が拍手などして暖かく受け入れてくれるケースと、汚いモノを見るかのように冷たい視線を浴びせてくるケースと2パターンあるそうだ。私たちが頂上にたどり着いた時は、非常に暖かく迎えてくれたので、とてもありがたかった。この日の登攀は、前日の大ヤスリに比べると、難易度の点でも緊張感の点でも易しいモノだったので特に印象に残っている場面はない。ただ暑かった。写真は瑞牆山頂上直下からみた大ヤスリ岩。ここ瑞牆山にはなぜかこうした異様な奇岩が非常に多く、古くから山岳信仰の対象とされていたというのもうなずける。

3日目は、午後に東京に帰らなければならない人がいたので、午前中だけフリークライミングの練習をして、午後は温泉に行くことになった。キャンプサイトから比較的近くにある不動沢にある屏風岩を訪れ、時間もないので通称「おしん」と言われる5.8のルートを何本か登った。クライミングをやらない方は分らないと思うので簡単に説明するが、岩を登るルートにはたいがい名前が付いている。この名前は初めてそのルートを上った人が命名することができる。日本のアルパインクラシックルートには初登者の所属する山岳会やグループの名前が付いていることが多く、結構渋い名前も多いのだが、フリーのルートには自由すぎる名前がつけられている事も少なくない。「おしん」・・・いくらグレードの低いルートだからと言って、私個人としてはこういう命名センスは全く受け入れられない

ちなみに上の写真が「おしん」を登る私。(このブログを見るのは実際の私を知っている人しかいないはずなので、顔が出ても問題ナシのはずですが、私を知らない人は街でこの顔を見ても声をかけたりしないで下さい。びっくりしてしまうので。)恐ろしい顔をしてものすごい力んでいるが、これ、地上からたった50cm。ちなみにフリークライミングは「いかに力を抜いて登るか」という点が非常に重要なスポーツだ。

帰る予定の方が、私が登る後ろで「もたもたするな!バスが行っちゃうだろ!!」などとヤジを飛ばすので、さっさと荷物をまとめて温泉に向かうことにした。キャンプサイトから車で30分ほどのところに増富温泉という信玄の隠し湯というふれこみの温泉があるのだが、この温泉は非常に良かった。36度程度の鉱泉で、色も泥水の様な湯なのだが、30分ほど入って出てくると体がぽかぽかしてくる。温泉が体に良いというのは誰でも知っている事だが、体に良さそうだということを実際に体感したのは今回が初めてだった。

温泉から出てもまだ日が照りつける3時頃だった。そのままキャンプサイトに戻るのは灼熱地獄に自ら飛び込む様なものだということが分かり切っていたので、この後韮崎までおりて、合宿に参加していた超ベテランの方のお友達で、日本山岳絵画の大家、武井清先生のお宅までお邪魔して冷たい飲み物を頂くことになった。この武井先生は実際にご自身でもヨーロッパアルプスなどに登る現役の登山家でもあり、ご高齢にもかかわらず非常にパワフルだった。私は絵画の事はよく分らないのでコメントはできないが、自分で山の写真を撮っても、戻ってきて見てみると写真と実際自分の感じた風景が大きく異なると感じることがほとんどなので、自分の感じたまま絵を描けたら楽しいだろうな、とは思った。

4日目は不動沢と同じく、キャンプサイトに近い場所にあるカサメリ沢に行って名称不明のルート一本(おそらく前絵星岩のどれかのルートだと思う)と「トラバント(5.9)」、「猫の手(5.10a)」にトライした。トラバントはトップで登った方が結構苦労していたのに反して、何となく自分にはうまく登れるのではないかという予感がしたので、全てのパワーを振り絞って登った。5.9は今まで登った事がなかったが、登り切る事ができたので、非常に満足した。ただ、トラバントで力を使い切ったせいか猫の手ではほとんど何もできずにボーッと人が登るのを見ていただけだった。力をセーブして登る事ができなければ、長く遊べないのでつまらない。今回の合宿で、自分の持っているフラットソールのシューズ2つが両方とも全く私の足に合っていない事が分ったので、もっと足に合ったシューズで臨めば、また違った登り方ができるだろうと思っている。いや、靴が云々という事を口にするにはまだ早いかな。

瑞牆山に5日間いたが、この山域のスケールは大きく、我々が訪れたのはそのほんの一部だ。10ピッチを超すフリーのルートから、大ハングをひたすらA1で乗り越えるアルパインルートまで、まだまだ私のレベルでは到達できないが、いつか再び訪れてそうした課題を乗り越えたい。

2007年8月12日日曜日

2007/8/11 多摩川BBQ

前日のスーパーハードワークの疲れが全くとれないまま、以前から誘われていたBBQにお邪魔させていただいた。元々この日は別の事をする予定だったが、非常に熱心に誘ってくれた方がいたので、参加することにした。

ここ最近は休日に下界にいることがほとんど無かったからあまり実感が無かったが、とにかく暑い。ま、夏だから当たり前だが、極度の疲労感と暑さから、私はほとんどボーッと座ってビールを飲んでいたため、「なんで一人で座っているんですか?」と心配されてしまった。そりゃバーベキュー来て誰ともしゃべらず何もしないで座って酒飲んでたら変だよな。

しかし疲労感には勝てず、日中はほとんど何もせずにビールを飲みながらボーッとしていたが、日が暮れ始め涼しくなってくると、徐々に元気になってきた。BBQを主催しているZ君とT君がどこからともなくスイカを出してきて、スイカ割りを始めると言う。いいね~スイカ割り、何年ぶりだろ。これがやってみると更に面白い。人がフラフラになりながらスイカでも何でもないところに強烈な一撃を浴びせるのは、見ていて大変可笑しかった。結局誰も目隠しでのスイカ割りに成功せず、普通に目隠しを取ってスイカを割ってみんなで食べた。スイカも美味しかったな。(上の写真は、スイカ割りの最中なぜか匍匐前進を始めたT君)

更に暗くなり、花火を始めた。花火も相当久しぶりだ。学生時代に横浜あたりの公園でやったのが最後じゃないだろか。花火はとてもきれいだったが、なぜか燃焼時間が非常に短い。最近の花火の傾向だろうか。昔の花火はもっと長く火を噴き続けていたような記憶がある。 線香花火が無かったのがチョット残念だったかな。

花火も終わり、荷物を片付け、2次会に移動した。なんと、懐かしの庄やだ。これまた学生時代以来、安い、マズイ、汚い、うるさいというイメージしかなかったが、入ってみると「ココが本当にあの床やか」と自分の目を疑いたくなるような光景が広がっていた。とにかく小洒落ている。清潔感が漂い、照明も何となく落ち着いた雰囲気を醸し出している。座席は全てテーブルだ。昔はギンギンに蛍光灯が照りつける畳敷きの店内で、ぎゅうぎゅう詰めのなか声が涸れるまで騒いだ店だったような記憶があるが、この店ではそんなことはできないだろう。

が、同行したT君は見事に私の期待を裏切って騒ぎまくってくれたやっぱ床やはそういうとこだよな。社会人になるとなかなか酒席でコールをかける機会などないが、私も久しぶりに記憶の片隅からコールを呼び覚まし、学生時代にタイムトリップした。

この酒席で面白いゲームをした。名は「ムチャぶりゲーム」というそうだ。要するに誰かを指さして無理矢理誰かの物まねをさせて、一番サムかったと思う人を最期に一斉に指さして、最もサムかったで賞を取った人が飲むというものだ。これがなかなか奥が深い。本当にムチャなフリではなく、「この人ならこれくらいならギリギリできそうかな」という線をねらってふる。ま、そこまで芸達者な連中が集まっているわけではないので基本サムイのだが、実際に物まねをする人よりも、物まねをふる人の力がゲームを面白くするという意味で、結構愛のあるゲームだなと感じた。

チョット疲れていたし暑かったが、いろいろな意味で若返った楽しい一日だった。

2007年8月11日土曜日

2007/8/10 丹沢主脈縦走

8月の仕事が幸運なことに早めに片付いた。「YOU。休んじゃいなよ。」という心の声に導かれて夏休みを取ることにした。10日も。この季節にこれだけ長い休みを取ったのは、ここ7、8年記憶にない。大学を卒業してすぐの夏にそのくらいの休みを取ったことがあったが、非常に居心地が悪かったのを覚えている。今回何も感じないのは社会的地位が向上したからだろう。たぶん違うけど。

いざ休みとなると、やりたいことがたくさんありすぎて、何をするか迷ってしまったが、休みの初日からあまり気合いの入った遊びをしてしまうと後半疲れてしまうので、丹沢にピクニックに行くことにした。

天気も良さそうだし塔ノ岳でビールでも飲んで昼寝でもするかな、などと考えて大倉を出発したのが朝8時。サクサク歩いて塔の岳着10時30分。

・・・またガスってるよ!登山地図などには「展望雄大」とかかれている塔ノ岳だが、私は一度も塔ノ岳からの雄大な展望を見たことがない。しばらくふてくされつつ地図を見ていると、ある考えが頭をよぎり始めた。このまま北上して丹沢山、蛭ヶ岳を踏めば丹沢主脈縦走じゃないか。丹沢主脈とは丹沢山脈の中で南北に走る塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳、焼山を繋いだ山群のことを指し、これを1日で縦走するのは所謂健脚者向けのコースだと言われている。

この勢いなら行ける!と判断した私は、だらしなく広げたピクニックセットをザックに戻し、進路を北に取った。表丹沢にはヒマさえあれば遊びに来ていたが、主脈縦走は今回が初めてだ。

表丹沢の美しいブナ林の様相を残しつつ、丘陵地帯の様なところもあるきれいな登山道が続き、何度かアップダウンを繰り返した後、丹沢山に11時30分に到着した。山小屋のおじさんと焼山まで抜けることについて話してみると「ん~。余裕余裕。蛭(蛭ヶ岳のこと)さえ抜けちゃえば基本下りだから飛ばせるし。」とのこと。特に疲れもなく、おじさんの言葉をすっかり信じて行程に余裕を感じたので、ここで1時間程ピクニックランチを取ることにした。

食料を胃袋に納めたあと、重い腰を上げて蛭ヶ岳に向かったのが、12時30分。アップダウンも多少きつくなったが、美しい山容が疲労感を忘れさせてくれた。疲労感、確かにこのあたりから疲労感を感じ始めていた。考えてみれば、塔ノ岳にピクニックを目的に来たのだからペース配分はめちゃくちゃだ。しかし蛭ヶ岳まで3時間のコースタイムを乗り切れば、後は鼻歌交じりの下山道だよな、と非常に楽観的に考えていた。このときまでは

やぶがせり出した、整備不行き届きとも思える登山道のアップダウンを繰り返して、ようやく丹沢最高峰、蛭ヶ岳に到着したのが13時30分。ほっと一息、山小屋のおっちゃんと世間話でもしようかな、と他愛のない世間話を一通りして、最後に帰りのバスについて情報を仕入れようと、「ところで、焼山登山口までここからどれくらいですかね」と聞いてみると「5時間」。なに!?5時間!?それバスの最終間に合わないんじゃないの!?バスの最終は17時53分だ。「焼山じゃなくて東野のほうに抜けちゃえば3、4時間だよ、小走りで」という。それしかない。急いで荷物をまとめて下山を始めたのが14時10分。

しかしこの下山道がどうもおかしい。まず、小走りなどしたら、そのまま崖下まで一直線間違いなしの急角度に切れ落ちた鎖場が連続し、走ったりしたら全身傷だらけになってしまいそうなやぶに覆われてたところも数カ所あり、とても飛ばせない。それでもこの時、バスの最終をキャッチすることしか頭に無かった私はできる限りとばした。脇目もふらず一心に走った。ココを小走りさせるのは安全登山という面から、山小屋の主の態度としてはどうなんだろうな・・・などと考えながら。

更に進んでいくと、なんだかますますおかしい。登りがきつい箇所がいくつかでてきたのだ。この道を「基本下り」と言うのは、いくら山男とは言え男らしすぎる表現だ。これは一般常識では「アップダウン」と表現する。私が進んでいるはずの道を地図で見てみると、等高線の様子からしてこんなにアップダウンがあるはずがない。

今回なんとコンパスを忘れてしまったのだが、時計についているデジタルのコンパスを見ると「S」と表示されている。「S」は許されない。「W」とか「E」ならまだ許せる。だが「S」であるはずがない。前述したが、私は基本的に「N」に向かっているはずなのだ。そこで、先日GETしたスタンドアロンGPS機能を内蔵した携帯電話を取り出し、早速使ってみることにした。するとそのGPSの画面には私が丹沢山の頂上にいることを示すマークが元気に光っている。携帯電話を真っ二つにへし折って丹沢の谷底に放り投げたい衝動に駆られたが、我慢した。

ちょうどそのとき前方からおじいさんとおばあさん、孫の3人パーティーが歩いてきた。私はそこでチョットかまをかけてみることにした。「姫次まであとどれくらいですかね?」と聞くと案の定「ん?どこそれ?」との返答が。姫次とは、予定どおりのルートで来れば、蛭ヶ岳からに90分程度のところにある丘陵状になった登山道の分岐点だ。どちらの方面から来たか聞いてみると「私ら檜洞丸から来たんだけど」とおっしゃる。檜洞丸とは蛭ヶ岳から西に位置する、別名青が岳。丹沢山地で蛭ヶ岳、不動ノ峰、鬼ヶ岩ノ頭に次いで第四の標高を誇る山である。が、今はそんなことはどうでもいい

この時点で15時。エスケープルートはどこにもない。檜洞丸を登り西丹沢に抜けるか、蛭ヶ岳にもう一度登って正しいルートに戻るか、選択支は2つしかない。あの急登を登り返すのは激しく憂鬱だったが、このときの私は蛭ヶ岳に登り返すのが最も正しい選択に思えた。意を決して蛭ヶ岳に登り返し、再び蛭ヶ岳に到着したのが15時50分。この登りで体力のほぼ全てを使い果たした。小屋のおっちゃんに水を分けてもらいに再び山小屋を訪れると、おっちゃんが「バスはもう間に合わないな」という。もうバスなんてどうでもいい。タクシー呼ぶよ・・・。小屋に泊まってしまおうかとも考えたが、気力を振り絞って下山することにした。コンパスは忘れたのに、ヘッドライトとツェルトは持っている。食料もまだある。いざとなったらビバークだ。おっちゃんが私をみて可哀想に思ったのか、麓にある温泉施設のパンフレットをくれた。

ここからの下りはまさに気力の勝負になった。非常に消耗しているため、登りがあると立ち止まる必要があったが、一方で日が暮れる前にできるだけ標高を下げて安全な地点まで進む必要があるので、長く休むことは許されない。軽いはずのザックが肩に食い込み、歩行タイミングを整えるためのストックが老人用の杖の様な役割となり、ゆっくり確実に降りることに集中した。途中、焼山ではなく東野に抜けるための坂(八丁の坂)がかなりきつい。とにかく傾斜が急で、通常ならとくに問題ないはずなのだが、消耗仕切った体の体力をがんがん削ってくる。それでも3時間、ひたすら耐えてようやく麓の集落、青根に到着したのが19時。このときには、精根尽き果てていたが、何とか日が完全に落ちきる前に麓に到着できたため、非常に安心した。

安心ついでに蛭ヶ岳の山小屋のおっちゃんにもらった温泉のパンフを思い出し、チョット見てみると、それほど遠くないところにあるようだ。「この疲労を癒すのは温泉しかないだろう、名前もいやしの湯だし」と、その温泉に向かうことにした、が・・・遠い。この歩きがこの日一番きつかった。舗装道路で時折車が脇を通る中、私はほとんど行き倒れる寸前の状態で温泉まで歩いた。このパンフレットはおっちゃんのブラックジョークだったのだろう。 ま、温泉はとっても良かったので、癒されたけど。

連続行動時間12時間。全く予想だにしなかったスーパーハードな一日となった。山のエキスパートとは、山で10時間以上連続で行動できる人を指す。という話をどこかの本で読んだ。すると私は山のエキスパートだろうか。そんなわきゃない。

今回の教訓:
1 ピクニックから縦走に計画変更してはいけない
2 山頂からの下山ルート選択は慎重に
3 バスの時間を気にするな

2007年8月6日月曜日

2007/8/5 四十八瀬川 勘七ノ沢

東京は4日最高気温33度を記録した。アッツイ!不快指数360%!こういう時は涼しいところに遊びに行くのが吉。ということでやってきました勘七ノ沢。涼しくて気持ちいい~。全体的にそれほど難しくない滝と淵、ゴルジュが続く楽しい沢だった。淵のへつりはジム壁のトラバースみたいで楽しかった。



下の写真のヘッピリ腰の男が私。F5にて。背中からびびってるのが見え見えです。沢は乾いた岩と違ってぼろぼろ崩れるし、フェルト底を履いているとはいえ濡れてすべる事もあるので、それほど高いところでなくてもまた違った怖さがある。


このあたりの岩は特に崩れやすいそうで、山小屋のおばちゃんの話によると、大きなホールドをつかんで、そのままそのホールドがあった3メートルくらいの岩ごと落下して下敷きになって亡くなった方もいるそうだ。 ムム~。私は元気に帰ってきました^_^